国内で産出される銅の4分の1を担い、日本近代化を支えた足尾銅山は、同時に多くの労働者によって支えられた。
狭隘な山間には最盛期で3万を越える人が集まり、次々と社宅が建てられて活況をみせた。
銅の産出が止まり、労働者が去った今、残された街の跡がかつての活況を記憶する。
2009年10月20日 訪問










昭和39年(1964年)には84世帯、353人がこの地区に住んだという。中には家財道具が残ったままの住宅のあったが、いつか戻ってくるという気持ちもあったのだろうか。
僕がこの地を訪れた2年後、この地は更地に戻されたという。もう思い出すことはない、この地に暮らした人の姿。
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