最盛期には11万人の人口(1960年)を誇った夕張市は、26の小学校と10の中学校を擁した。それが今や人口1万人を割り込むというから、炭鉱町夕張の変化のすさまじさは尋常ではない。繁栄期を過ごしたあの頃の子どもたちの子どもは、まったく違う夕張を過ごしていることになる。

2007年の財政破たん後、あらゆる行政活動が制約されることになる。そのメスは教育行政にも容赦なく、市内の小中学校はそれぞれ1校を残して廃校にしてしまった。


夕張小学校は2011年廃校。子どもたちはバスで新「ゆうばり小学校」へ通学する。


夕張中学校は2009年に廃校となり、新「夕張中学校」に統合される。


財政破たん後住民の流出が相次ぎ、2013年には人口が1万人を割り込んでしまった。住民への負担も大きくなっていて、軽自動車税も割増なんて聞いたことがない。市議員の手当て月18万、市施設も相次いで閉鎖、市の幹部職員もみな退職してしまい、市の行政活動なんてどうしているのだろう。

さて、炭鉱町だったかもしれないが、夕張には団地や社宅が今でも多く残っている。

建物番号が「改62-2」とは、まるで自衛隊の兵器かなにかみたい。

2007年の財政破たん後、あらゆる行政活動が制約されることになる。そのメスは教育行政にも容赦なく、市内の小中学校はそれぞれ1校を残して廃校にしてしまった。


夕張小学校は2011年廃校。子どもたちはバスで新「ゆうばり小学校」へ通学する。


夕張中学校は2009年に廃校となり、新「夕張中学校」に統合される。


財政破たん後住民の流出が相次ぎ、2013年には人口が1万人を割り込んでしまった。住民への負担も大きくなっていて、軽自動車税も割増なんて聞いたことがない。市議員の手当て月18万、市施設も相次いで閉鎖、市の幹部職員もみな退職してしまい、市の行政活動なんてどうしているのだろう。

さて、炭鉱町だったかもしれないが、夕張には団地や社宅が今でも多く残っている。

建物番号が「改62-2」とは、まるで自衛隊の兵器かなにかみたい。
スポンサーサイト